家相を斬る

家相を斬る

家相を斬る

家相を斬る

家相をぶった斬りましょう。

Q 家相が悪いと病気になる?        

A なりません。

Q 張りや欠けは気にした方がよいですか?

A 気にせず、ご自由にどうぞ

このような「どうでもよい」 Q&A をおこなっていくと際限なくできるでしょう。

ただ、家相と接するとき、気をつけて頂きたいのが、住宅業界です。「設計を変更しろ」と言って建築業者を同時に紹介する。また建築業者自体が家相をみるというケースがあります。それは単純に営業手法であり、当然、多額のバックマージンや利益が発生します。建築業界はそういった悪習が存在する世界です。

そして占い業界は、家族の不幸や病気で悩むことに付け込んで、「家相が悪い」そう言って先祖供養などを勧めてくる占い師もいます。高額なお墓や企業墓、印鑑を買わせたり、仏壇なども購入させる手法もありますし、通名や企業名の改名を勧めてもくるでしょう。

はたまた宗教団体に引き込むケースもあるでしょう。そういった手法に惑わされない事が大切です。

賃貸に住んでいたら、家相を気にされない方が多いはず。家相は、家を持つことで気になる「相学」でもあるのです。

上記の「鬼の間」や「災いを受けるか、避けるか」でもお伝えしましたが、天皇が国民に災い事が向かないようにすべてを引き受けわが身を通し、世の安泰を願ったように、一家の主が、妻や子供の日々の幸せを願う行動こそが家相学の本質だと思います。

時の天皇が災い事を鬼とみたて、宮中に鬼を誘い込み切り倒すように、災いを恐れ、逃げるのではなく戦う姿勢こそが家相学の本質でもあります。

武家の世界では多くの城で、鬼門方位に厠をつくることが、戦国時代の武士の常道とされていました。安土城福知山城岡山城姫路城などは裏鬼門に厠が配されていたとされ、「鬼神」の災いを恐れず覚悟を持った武将の気構えと捉えることができるでしょう。鬼など恐れないという姿勢の表れでしょう。

家相の王道は、一つ屋根の下において、筆頭の者が、災い事はわが身を通せ、一般家庭であれば、「主」が家族に災い事がいかぬように願うこと。企業経営者であれば、代表者が社員に災い事がいかぬようにわが身を通せと願うこと。

そういった奥深い考えこそが、家相の本質です。奥深いがゆえに、騙されやすくもなるのでしょう。まずは家相に接するとき「詐欺行為に騙されないよう」にして頂くことこそが大切だと思います。

戦国時代、京都御所の陰陽師が迫害を受け、全国に散らばりました。実際の人数より、はるかに多くの陰陽師が全国に散らばり、その偽物を声聞師と言います。全国で行われる左義長などはこの偽物の陰陽師によって全国に伝わり、一つの祭事、文化となっています。

昔も、今の世も、正しい事こそ伝わりにくいのかもしれません。

家相研究会

鬼の間

鬼の間

鬼の間

鬼の間」という名称を聞くと、誰もが驚かれるでしょう。名前の通り、「鬼」が住む部屋があるのか、そう思われるでしょう。しかもその間の存在は、平安時代の天皇のお住まいの中であると聞けば、なおさら驚かれたと思います。

スクリーンショット 2026 05 28

上記、図面の1番、「夜御殿」が、当時の天皇がお休みになられたお部屋です。そして3番に鬼の間が設けられておりました。京都御所の中でも、天皇が生活の場とされる清涼殿の中に「鬼の間」はありました。

京都御所清涼殿の一室、「鬼の間」には、飛鳥部常則という宮廷絵師が、康保元年(964年)鬼を斬り倒す白沢王の像を描いたことで、その間が「鬼の間」と呼ばれるようになったと伝承されています。

しかし皆さんのご自宅にいくら有名な絵師と言えども鬼の絵を壁一面に描くでしょうか? 覚悟を持って描かれたことが想像されます。

災い事(疫病や天災)などを鬼にみたて、王が鬼を退治する絵であり、その王の名が、白沢王(名目は「はくた王」、仮名は「はかた王」)といい、李将軍、古代インド波羅奈国の王で、鬼を捕らえた剛勇の武将とされる王でした。

皇室の天皇が、災いごとから逃げるのではなく、鬼をとらえて、戦う様子を描いているのであり、こういった皇室の姿勢は、延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢(かんげん)の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)と桧皮色の御衣下賜の勅命が下されたことからも、空海の影響が当時の皇室にも大きな影響を与えていたことがわかります。

災い事を鬼としてやっつけ、なおかつ石灰壇で幸せを願う。この両立が空海の密教の影響が強いことは想像できます。

ここで密教を語れば、密教という言葉を聞くと、誰もが「秘密」めいた教えを考えますが、元々、仏の教えですから、万人に平等であるわけで、密教は「見る人にはわかる」、「分かる人にはわかる」、そういった教えです。

当時、庶民には御所、築地塀の凹み、猿が辻しか見ることはできません。ゆえに凹ませることを災いから逃れる手法と勘違いしたことも納得できます。比叡山最澄にも伝えることがなかった空海の奥義を一般の者や他の宗派の仏教関係者が見ただけで伝えるはずもないでしょう。鬼の間という部屋の存在を知らない者も多いと思います。

それが今日まで伝わる鬼門を異常に恐れる日本文化になったと思われます。

天皇は自らの生活の場である清涼殿に災い事(鬼)を導き、切り倒し、対面にある石灰壇で幸せを願い、護摩や祈祷で、国民に災い事がいかぬように願われていたと想像できます。

明治維新で、神仏が分離し、廃仏毀釈運動が起きました。皇室に仏教が深くかかわっていたことを恥と思う思想が国家にはあったでしょう。そして日本の国は、明治、大正、昭和、そして戦争の道に進んでいきます。

戦後、GHQにより日本の宗教観は骨抜きにされ、その上で日本のオールドメディアにより、占い師が暗躍して、今の鬼門思想が日本に深く根付いたと思われます。

時の天皇は、疫病や天災を鬼と例え、恐れていましたが、空海の力を借りて、逃げない姿勢で「鬼の間」をつくられたのだと思います。夜御殿と隣接し、二間をつくり、護持僧を常に待機させて祈祷を行い、災い事から「逃げず、恐れず」、鬼とみなしてたたき斬る。

今伝わっている家相の本質とまったく違うことに気づかれたと思います。家相を見てもらう占い師に鬼の間のことを聞いて語れなければ、それなりの者、そう申しておきましょう。

家相研究会

神を祀るのか、仏を祀るのか

四国八十八カ所霊場

神を祀るのか、仏を祀るのか

神棚 仏壇

家の中に「神」や「仏」に感謝する場所を設けろ、それが家相だ。そして日々感謝することこそが大切なのだ。

一日の良いスタートがきりたいから、やってみるか、そう思われる方もいらっしゃることでしょう。似たようなことをいうウェブサイトや書籍もあるでしょうが、それなりの確率で神具店、仏具店でしょう。ごく普通の棚を購入しても、それが神棚、仏壇となります。そう最初にお伝えしておきます。

また神社のお札やお寺のお札を一緒にお祀りしてもよいと、ずばり最初に申しておきましょう。またその方が良いとも言っておきます。

「おいおい家相研究会よ、ハチャメチャなことを言うんじゃない」そう思われるでしょう。いやいや日本はそういった国ですし、日本独自の家相や密教を始められた空海、弘法大師さまはそういったお方なのです。ですから何も問題ないし、その方がご利益は高まると思いますと、はっきりここで申し上げておきましょう。

たしかに神道では死者の穢れを嫌います。「祓いたまえ、清めたまえ」という祝詞もそういった意味合いがあります。ゆえに親族が亡くなれば一年は喪にふくせなどとも言われます。だからお寺のお札を一緒に祀るのはアウトだ。そう思われるでしょう。

わかりやすい例を言いましょう。徳川家康が亡くなって仏の身でありながら、現在は神として祀られ、日光東照宮の神となっています、そして神社として神のお札が交付されています。さあどうしましょうか。徳川家康は人間であり、神ではありません。つまり日本は非常にあいまいで寛容な国なのです。平安時代から続いた神仏習合を明治維新で人間が勝手に分離しましたが、日本人の心はずっと神仏は習合しています。今も皆さんが自然に大切にされているのだと思います。現実、神道の方は家族が亡くなったら守護神という考えで祀られます。

全国に、「なになに権現」という神社がたくさんあります。権現とは、仏の仮の姿という意味で仏が神として祀られているのです。そういった環境であるがゆえに、生まれたらお宮参り、七五三で神社やお寺へ行き、結婚式は神前結婚、はたまたキリスト教でもないのに教会で愛を誓う、そして亡くなると無宗教と言いながら仏式となる、それをめちゃくちゃというか、広い心というか、我々日本人は神と仏が混在した中、はちゃめちゃな中で生かされてきたのです。

我々家相研究会のメンバーは、代表を含め、四国八十八カ所霊場を回っていますが、100回以上回る強者がそれなりにおります。その四国八十八カ所霊場を巡礼されると明確にわかるのです。明治維新で「神仏判然令」が出されて神仏分離が行われても空海、弘法大師の教えがずっと守られています。ゆえに日本中から、いや世界中から、空海の足跡を尋ね、お遍路にこられる方が多いのでしょう。

下記の写真は、四国八十八カ所霊場 愛媛県 42番霊場 佛木寺(ぶつもくじ)です。鳥居があるから驚かれるでしょう。実は本堂のご本尊は大日如来、そして本堂の真裏にいくと写真のように天照大神・神武天皇・菅原道真が祀られているのです。

42番 佛木寺
42番仏木寺

驚かれると思います。つまりお寺参りをすると、自然に神様をお参りしているのです。観光バスツアーでお遍路に来られると、皆さん本堂で御経を詠み、裏の神様は素通りされてしまいます。しかし知らず知らずに、お寺参りで神様もお参りしているのです。90%以上の方は、本堂の裏に神様が祀られていることを知らずにお参りをされています。

41番霊場 龍光寺

上の写真は愛媛県 四国八十八カ所霊場41番霊場 龍光寺です。空海(弘法大師)がこの地を巡錫した際、稲荷明神像を刻んで安置した、四国八十八カ所霊場総鎮守の由緒あるお寺です。青字を拡大してご覧ください。本堂に「神が鎮座する」と書かれています。ですからお経を読んでも良し、拍手を打っても良しのお寺なのです。

現在、四国八十八カ所霊場だけでなく、神社側も大きな動きが20年前から始まりました。出雲大社が中心となり、出雲神仏霊場が発足し、20年の歴史を持ちます。神社とお寺を巡礼する霊場会が生まれ、神仏合同の慰霊祭も継続されています。また京都北野天満宮が事務局で、伊勢神宮も参加され、平成17年から神仏霊場会が発足し、専用の納経帳などもつくられ神仏混合の歴史を大切にし始めました。

言葉は悪いですが、どうぞ、神と仏をごちゃごちゃにしてみてください。平安時代から1200年以上続いた日本の宗教観を楽しまれたら良いと思います。明治維新で分離され、GHQに骨抜きにされた日本の宗教観を取り戻すのも、楽しむのもあくまでも個人の自由な考えです。

死んだ親が自分にとって神だと思えば、神と思って参拝すればよいでしょう。前述の愛媛の佛木寺には、動物たちを崇めるお堂もあるのです。亡くなった犬や猫に手を合わせてスタートすることも、良いのではないでしょうか。

神や仏が喜ばれ、空海も必ずや強い後押しをしてくださると思います。

家相研究会

そんなの関係ねぇ!

正中線などどうでもいい

そんなの関係ねぇ!

そんなの関係ねぇ!。大人気、小島よしおさんのフレーズです。

家相研究会は、家相を解き明かしてまいりました。神や仏に日々感謝して暮らせば、それが家相では「吉だ」 そういってまいりました。今まで聞いていた家相とは大きく違うことに気づかれたと思います。

なら家相でよく言われる、正中線や張り欠け、間取りなども気にしなくてよいのでしょうか? 誰もが気になさると思います。ずばり

正中線などどうでもいい

とお伝えしておきましょう。

家相は、鬼門などよりもっと大切なことがある。

間取りや正中線だ。張り欠けだ。まったく気にする必要はありません。平安時代から明治維新まで1200年以上続いた日本伝統の家相はそういったものではないからです。それこそ家相を見る占いの先生に、張りや欠け、三所三備が非常に多い構造の京都御所の図面を鑑定していただければよいでしょう。

多くの庶民も、借家である長屋に住み、家相や間取りなど気にすることすらできません。それでも庶民は、幸せに暮らしてきたのです。そう申しておきましょう。

家相研究会

石灰壇が家相の発祥

51049

石灰壇が家相の発祥

石灰壇(いしばいのだん)、宮内庁では、(いしばいだん)とよんでいます。

宮内庁ホームページ  まず宮内庁のHPでしっかりご覧ください。

木造建築物である清涼殿の内部なのですが、地面から土を盛り上げ、漆喰で固めた床の仕上げになっています。恐らく地面と繋がることで、伊勢の神や四方の神々への思いが直接届きやすいようにされたのだと思います。

家相が始まった平安時代につくられ、火災で焼失し、また再興され、また焼失し、1855年に復興するなど、「造られては焼失」を繰り返しております。

石灰壇は、時の天皇が、祭祀を行っていた聖なる場所です。朝日が入る清涼殿の中でも一番良い場所であることは間違いありません。そういった場所で祭祀祭礼を行い、世の安泰、五穀豊穣を願っていたのです

ですから京都御所内部にある「石灰壇」こそ、家相が発祥した場所です。京都御所外部猿が辻」が発祥の場所ではありません。

家相ではよく、ナンテンを植えると難を転じるとか、土地の鬼門方向を切り欠けば災いが逃れるなどと言われます。家相の代表的な迷信でもありますが、それらはすべて後ろ向き、ネガティブに逃げる対策法であります。「石灰壇」のようにポジティブに願う所作を行う場所を持つことが家相の本質であるということです。

また宮内庁の写真をご覧になると、炉がきられています。密教ですから、ごく限られた人間のみの伝承だと思われますが、護摩も行われていたでしょう。四方拝は代拝も許されない特別な祭祀であると言われており、仏教だけでなく、道教や陰陽要素が含まれた、空海、弘法大師の影響が大きいと思われます。

石灰壇(いしばいだん)が家相の発祥であることがご理解いただけたと思います。聖なる場所を持ち、日々願うことが家相の本質であり、災い事から逃げる対策をすることが家相ではありません。家相は、前向きなものであると申しておきましょう。

家相研究会

空海は「鬼」など相手にしない

家相学

最初に言っておきますが、空海や真言宗の「宣伝サイト」ではありません。家相の本質をお伝えしようとすると、どうしても空海を語らなければならないからです。

家相研究会のメンバーは四国八十八カ所霊場会の先達として、八十八カ所霊場を100回以まわる強者が数名おります。どっぷり弘法大師、空海の足跡をたどっています。

平安時代、天災、火災、地震、疫病、それらを神の祟り、「鬼」として考える風潮がありました。空海、弘法大師はそのすべての災い事を「神の祟り」とするなら、仏教、密教の力で焼き尽くして滅失させ、国家や天皇を護持していたと思われます。

それが空海が行った密教、また護摩という手法で、現在まで伝わっています。

そういった手法をとったからと言って、地震や火災、天災、疫病などが無くなるわけはありません。しかし、国家は逃げずに立ち向かったいたことに間違いはないのです。

そういった空海の考えが、現代の身近なお線香にも表れています。

真言宗では、他の宗派と違い、仏の供養だけではなく、自らの体をも浄化させる意味合いを持って、お線香を三本立てることにつなっがっているのです。

先祖(過去)、自分(現在)、子孫(未来) 三世への安寧を願うこと。

ゆえに真言宗は、線香の本数を3本にします。それを「三宝」と呼んでいます。

四国八十八カ所霊場を回られますと、分かりますが、臨済宗 曹洞宗 天台宗も取り込んで四国八十八カ所霊場としています。

空海は神も仏も習合し、様々な力を利用して治めていくのです。

そういった災い事に立ち向かう姿勢で、天皇を支えていったのでしょう。

そして外から猿が辻を見た連中が誤解をして現代まで鬼門を恐れる思想を日本に根付かせたのです。

ですから 家相は、

過去、現在、未来への祈りの場を家の中で持つこと

持つだけでなく祈る事

できる事であればその場所をよい場所にすること

それが家相学です。

「鬼門に玄関がある」、「お掃除をするとよい」、「ゴミ箱の蓋を閉めると良い」

そんなどうでもよいことが家相ではないとはっきり申しておきましょう。

家相研究会

家相は信頼できない!

34655254 s

家相は信頼できない!

家相では家の中心点を「敷地の中心」 「敷地と建物の平均」「一階の建物重心」「二階の建物重心」「一階と二階の建物重心の平均」「太極柱(大黒柱)」「囲炉裏」「神棚」「床柱」「大棟」「一家の主の正寝」「商店は床の間」「武家は玄関」など 15を超える、中心点の違う考えがあります。

それを流派と言えば、流派となるでしょう。

ただでさえ胡散臭いと思われている家相ですが、流派がある、中心点が違う、「つまり見る人によって判断が違いますよ」と言っているわけで、全く信頼できないと思われるでしょう。

そして中心点から見て、トイレや玄関の位置が良いとか悪いとかまで派生するから、面白おかしい世界に入っていくのでしょう。そしてもっと派生すると、「お掃除すると良い」とか、「ここに鏡を置くと良い」とか、ますますおかしな世界に入っていくのです。

実は、15を超える中心点は、すべて祈りの場です。敷地の中心で神仏に祈りを捧げる。大黒柱に祈りを捧げる。囲炉裏に祈りを捧げる。武家は玄関が祈りの場になる。つまり祈りを行う場所を住まいの中心点としたということです。

中心点から見て、何かがあれば凶。中心点がどこなら吉ではなく、「住まいの中に願う場所があるのか、また、住まい手が願っているのかが重要なのです。

そこを間違うことで本質からどんどん外れていくのです。つまり中心点などどこでもよく、流派もどこでもよく、「住まいに願う場があり、そこで願うことが大切である、それが家相なのです

この根本を間違わないようにすべきでしょう。

仏教でも同じです。

仏教も、線香が宗派によって違う

線香を立てる、横にする、本数も違います。また線香をあげる意味すらも違ってきます。

1本 曹洞宗、臨済宗、日蓮宗
1本を折る / 横にする 浄土真宗本願寺派・大谷派
2つに折る 浄土宗
3本 天台宗、真言宗

天台宗や真言宗では、本数を増やすことで自らも清める意味を持たせます。仏教の宗派は、10以上の宗派があるのです。

なら、仏教も信用できない! そうではありません。 家相もそれと同じだと思います。

中心点がどこだとか、その中心から見て、何かが「有る無し」ではなく、住まいに幸せを願う場所があるのか、住まい手が願っているのか、それこそが家相学の「良しあし」なのです。

私の家は、なになに宗だ。どこどこ宗だ。これだけお金を寄付した。けれどいっさい手を合わせることをしない。

家相の本質を見誤ることは、それに近いことだと思います。

家相研究会

災いを受けるか、避けるのか

Sinotoko(tei)

災いを受けるか、避けるのか

今回は、京都御所、「猿が辻」の本質を神道側からお伝えします。

愛知県の国府宮神社で有名な裸祭りがあります。人々の災厄を、「神男」が一身に背負う祀りごとです。

自分の厄を落とす側。他人の厄を一身に引き受ける側、神男。その神男を命がけで守る鉄鉾会(てっしょうかい)という歴代の神男で構成する警護組織で神男を命がけで守ります。

民衆から鉄鉾会メンバーが神男を守り、上からも神男を命がけで拾い上げます。そして受け口に引っ張りあげて神男を神殿に引き入れるのです。それが上記の写真です。

これをご覧になられて、京都御所の「猿が辻」を想像していただくと、猿が辻の本質が分かると思います。天皇が国民の災い事、災厄を一手に引き受けて御所内部に招き入れている。

平安時代、疫病や自然災害で苦しむ民衆を助けるために、天皇は全ての災厄をわが身で引き受けておられたと思います。そして弘法大師、空海や空海の弟(真雅)が常に皇室に寄り添い、鉄鉾会のように守っていました。それを護持僧と言います。

天皇は国民の災い事を一手に引き受けていたのです。それは現行の天皇陛下を見ても分ります。常に国民に寄り添い、様々な被災地でも誰よりも被災者に寄り添う。

写真のように鉄鉾会が神男を引き入れる口が、京都御所で例えれば猿が辻です。

猿が辻の本質は、天皇が災いを避けていたのか、受けていたのか、神道側から見ても理解できると思います。

家相研究会

写真提供 稲沢市

家相=鬼門 鬼門=家相 

23250020 s

家相=鬼門 鬼門=家相

家相といえば鬼門、鬼門と言えば家相と思う方が多い事でしょう。

しかし鬼門という方位はただの北東を意味するだけのものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

北東を「鬼門」、南東を「風門・地門」、南西の裏鬼門を(人門・病門)、北西を(天門)とし、それぞれの四隅の方位・方角の陰陽道上の門の名です。

縁起の良いと思われる南東であっても風の影響を受ける門です。基本は、良い風を意味していますが、当然風には悪い風、突風や台風もあるからです。

このように鬼門はただの方位を表す言葉なのです。この考えが「風水では鬼門を悪い方角とは言わない、考えない」ということに繋がるのです。

令和の時代でも、コロナ禍などの感染症で世界が混乱しています。平安時代、疫病や地震、台風、火災、さまざまな天災を、神の祟りである鬼の仕業として恐れていたことから、中国から伝来された四方の門の鬼の名の門を、恐れる方位ととらえることになっていきます。そして、反対方向の南西を裏鬼門と呼び、恐れることになっていきました。

平安時代、京城四隅疫神祭(都)など、「四角四境」の祭祀を行い、世の安泰を願っていました。鬼門を恐れる祭祀を行うのではなく、都全体を守る祭祀をおこなっていたのです。

鬼門、それはただ「北東を意味するだけのこと」である。そう申しておきましょう。

家相研究会

神と仏が一体になって生まれて育つ家相

3630962 s

神と仏が一体になって生まれて育つ家相

神を代表すれば

誰もが伊勢神宮を思い浮かべるでしょう。皇室の先祖神でもある天照大御神が祀られています。太陽を神格化した女神であり、日本国民の総氏神ともされています。天皇は天照大御神の直系の子孫とされますが、 そんな伊勢神宮には、心御柱といい、床下中央部分に柱があります。神は、「木や柱を依り代」とするためです。

そして我々はその柱に心を向け、感謝し、願いを込めています。また拍手を打ち、願いを込めるでしょう。

伊勢 五十鈴川

仏を代表すればどうでしょうか

金剛證寺の奥の院

仏を代表すればどうでしょうか

ご自分のご先祖のお墓であったり、お好きなお寺であったり、人はさまざまだと思います。

石碑や仏像に、蝋燭を立て、線香をあげ、手を合わせて合掌をする。日本人が日々接する神と仏は、お参りの所作も、向き合い方も大きく違います。

家相が生まれた平安時代、この「神と仏が一体」となって祭りごとを行っていました。これを「神仏習合」と言います。弘法大師、空海が強く推し進めた思想です。多くの日本人は、これを知らない方も増えております。明治維新で神仏は分離されましたが、江戸時代まで、日本の皇室には仏教も深く関わっていました。

上の写真は、伊勢の金剛證寺の奥の院の写真です。江戸時代、伊勢参りが盛んでした。犬まで伊勢参りをする時代。「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」と言われ、伊勢神宮と一緒に朝熊山の金剛證寺を参拝するのが習わしでした。寺では仏事に用いられるのは(しきみ)ではなく神事に使われる(さかき)が供えられる、全国でも珍しいお寺なのです。

そのような環境で生まれて育ったのが家相です。神側から家相を研究するか、仏側から家相を研究するか、家相はとても面白い世界だと申しておきましょう。

家相研究会

家相を取り入れると幸せが保証される?

31054249 s

家相を取り入れると幸せが保証される?

家相を取り入れると幸せが保証される。そういえば間違いなくこのサイトはスピリチュアルだ、宗教だと言われる事でしょう。

ですから家相と向き合おうが、取り入れようが、日々、神仏に願いを込めようが、幸せなどいっさい保証されるものではないと、「きっぱり、さっぱり」お伝えしておきましょう。

初詣に行けば一年、良い事しか起きず、悪いことは起きませんか? と聞いているようなものでしょう。

「よいこともあれば、悪いことも起きる」そんなことは、人は皆分かっています。しかし初詣に向かい、良いスタートを切ろうとする。それと同じことだと思います。

日々、家の中で神や仏に挨拶をして仕事に向かう、家事を行う。良い一日のスタートは切れることになると思います。

「家相は幸せを保証するものではないが、良いスタートはきれる家にはなれる」 

そう申しておきましょう。

家相研究会

家相は宗教なのか?

Rdesign

家相は宗教なのか?

「宗教は、神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、世界各地にさまざまな形態のものがみられる」  と辞書には書かれます。

「宗教は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」 とWikipediaにあります。

例えば、家相を信じましょう、とか団体で推奨すれば、家相を利用した社会集団ですから、宗教でしょう。

個人の方が、日々、住まいの中で神や仏に幸せを願う営みをおこなうと、それを宗教行為と言えば宗教行為なのでしょうが、「家相が宗教」かと言えば違うと思います。それぞれの方がそれぞれが信仰する神や仏に願いを込めるわけであり、家相そのものが宗教ではありません。

もし家相を宗教としたら、家相ぐらい、ごちゃごちゃの宗教観はないでしょう。神道、仏教、儒教、道教、弘法大師、空海の教えも混ざり合い、天皇の御意向もあったはずです。

初詣をしたり、旅行に行ってお寺にお参りしたり、それも宗教行為だといえば、宗教行為なのでしょうが、神や仏に、祈りを込めることが、宗教だ、スピリチュアルだ、そう議論されるぐらい日本の宗教観が、戦後のGHQにより骨抜きにされた事だけは間違いない事実のようです。

家相研究会

家相は正しくも伝わっている

4982877 s

家相は正しくも伝わっている

1 家相は占いではない、願えば吉となるものだ

2 天皇が国民の幸せを願うために利用された。

3 家相を編み出したのは、弘法大師である。

とお伝えしました。現代の日本では家相は間違って伝わっていることが多いのですが、家相の本質が、正しく伝承されていることもあります。

平安時代から、戦国時代になると、陰陽師は迫害を受けていきます。しかし、「番匠棟上槌打という儀式は、世に広められていきます。それは戦国時代、刀鍛冶と同様、高い地位に存在した番匠が大切にされていたからです。

その番匠が、建造物を建てる際、とりおこなった儀式が、番匠棟上槌打 といい、建物を建てる際、災いが起きぬよう邪気を取り去る仏教儀式でした。そして家の設計図ともいえる「木割書」も作られるようになり、その番匠棟上槌打や木割書から「家相」が生み出され伝承されていくことになります。

本来は仏教儀式でありましたが、現代では「神道儀式の地鎮祭として」国民に広く伝わっています。

世に伝わるものはどんなものでも間違っても伝えられます。何が正しいのか、間違っているのか、難しい時代ではありますが、本来、家相は「幸せに暮らせることを願う儀式」であることをお伝えしておきましょう。変化はしたものの、家相の本質が正しく伝わった一例をお伝えしておきましょう。

家相研究会

誰が家相を利用したのか?

京都御所

誰が家相を利用したのか?

時の天皇が家相を利用されています。中国から伝来した、様々な思想と日本独自の思想を混ぜ、独自の発展をさせたのが家相です。

そして歴代の天皇が利用していきます。国民の健康を願い、神と仏に祈りを込めておられました。「疫病、火災、天災、地震などの自然災害」と常に戦う平安時代。家相とは、その見えない敵と戦うために天皇が利用されたものです。

このサイトをご覧いただくと、今まで多くのオールドメディアが流してきた家相と大きく違っていることに驚かれると思います。

家相研究会

どっちが家相では「吉」「凶」

Image

どっちが家相では「吉」「凶」

家相とは、「間取りがどう」とか、「お掃除がされている」、とかではありません。まったく違います。簡単にいえば、「神や仏」に願いを込めている「家」かどうかということです。

願いを込めていれば「吉」 こめていなければ「凶」 そう考えていただければよいでしょう。

ネットやテレビ、大方の書籍では、占いとして扱われ、家相が悪いと、縁起が悪いことが起きると言われます。家相は、そういったものではありません。

例えば、上のような立派な住まいに住んでいる方がいるとします。私が設計すればお金持ちになる、金運が舞い込む、それを信用して家を建て、金運が舞い込む大吉の家だと思って生活をされている人がいます。しかしその住まいには、神棚や仏壇もなく、日々、神や仏に感謝する場所すらなく、感謝することもしない家だとしましょう。

逆に上の写真のような古い会社の社宅に暮らしているが、「神」や「仏」に日々、感謝する暮らしをされている家があるとしましょう。

どちらが家相の良い家なのでしょうか

間違いなく後者であるということです。

家相とは 何かと問われたら? 

家相とは

「神」や「仏」に感謝できる場が設けられている家、そして住まい手が、日々、感謝して暮らしている家かどうかを判断するものです。

感謝して暮らす家であれば「吉」 暮らさない家であれば「凶」と申しておきましょう。

家相研究会