石灰壇が家相の発祥

石灰壇が家相の発祥

石灰壇(いしばいのだん)、宮内庁では、(いしばいだん)とよんでいます。

宮内庁ホームページ  https://kyoto-gosho.kunaicho.go.jp/room/3A208

上記のリンクでしっかりご覧ください。

清涼殿の内部なのですが、地面から土を盛り上げ、漆喰で固めた床仕上げにされています。恐らく地面と繋がることで、伊勢の神や四方の神々への思いが届きやすいようにされたのだと思います。

平安時代につくられ、火災で焼失し、再興され、また焼失し、1855年に復興するなど、「造られ」「焼失」を繰り返しております。

石灰壇は、時の天皇が、神々に祭祀を行っていた場所です。朝日が入る清涼殿の中でも一番良い場所であることは間違いありません。そういった場所で祭祀祭礼を行い、世の安泰、五穀豊穣を願っていたのです。

これこそが家相発祥の場所です。ですから「猿が辻」が発祥の場所ではありません。

家相ではよく、ナンテンを植えると難を転じるとか、土地の鬼門方向を切り欠けば災いが逃れるなどと言われますが、迷信でもありますが、それらはすべて後ろ向きに逃げる手法であります。石灰壇のように前向きに願う所作を行う場所を持つことが家相であるということです。

宮内庁の写真をご覧になると、炉がきられています。密教ですから、ごく限られた人間のみの伝承だと思われますが、護摩も行われていたでしょう。四方拝は代拝も許されない祭祀であると言われており、道教や陰陽道など、空海、弘法大師の影響が大きいと思われます。

石灰壇(いしばいだん)が家相の発祥であることがご理解いただけたと思います。祈る場所を持つ、日々願う場所を持つことが家相であり、災い事から逃げる対策をすることが家相ではないことを、お伝えしておきましょう。

家相研究会

空海は「鬼」など相手にしない

家相学

最初に言っておきますが、空海や真言宗の「宣伝サイト」ではありません。家相の本質をお伝えしようとすると、どうしても空海を語らなければならないからです。

家相研究会のメンバーは四国八十八カ所霊場会の先達として、八十八カ所霊場を100回以まわる強者が数名おります。どっぷり弘法大師、空海の足跡をたどっています。

平安時代、天災、火災、地震、疫病、それらを神の祟り、「鬼」として考える風潮がありました。空海、弘法大師はそのすべての災い事を「神の祟り」とするなら、仏教、密教の力で焼き尽くして滅失させ、国家や天皇を護持していたと思われます。

それが空海が行った密教、また護摩という手法で、現在まで伝わっています。

そういった手法をとったからと言って、地震や火災、天災、疫病などが無くなるわけはありません。しかし、国家は逃げずに立ち向かったいたことに間違いはないのです。

そういった空海の考えが、現代の身近なお線香にも表れています。

真言宗では、他の宗派と違い、仏の供養だけではなく、自らの体をも浄化させる意味合いを持って、お線香を三本立てることにつなっがっているのです。

先祖(過去)、自分(現在)、子孫(未来) 三世への安寧を願うこと。

ゆえに真言宗は、線香の本数を3本にします。それを「三宝」と呼んでいます。

四国八十八カ所霊場を回られますと、分かりますが、臨済宗 曹洞宗 天台宗も取り込んで四国八十八カ所霊場としています。

空海は神も仏も習合し、様々な力を利用して治めていくのです。

そういった災い事に立ち向かう姿勢で、天皇を支えていったのでしょう。

そして外から猿が辻を見た連中が誤解をして現代まで鬼門を恐れる思想を日本に根付かせたのです。

ですから 家相は、

過去、現在、未来への祈りの場を家の中で持つこと

持つだけでなく祈る事

できる事であればその場所をよい場所にすること

それが家相学です。

「鬼門に玄関がある」、「お掃除をするとよい」、「ゴミ箱の蓋を閉めると良い」

そんなどうでもよいことが家相ではないとはっきり申しておきましょう。

家相研究会

災いを受けるか、避けるのか

災いを受けるか、避けるのか

今回は、京都御所、「猿が辻」の本質を神道側からお伝えします。

愛知県の国府宮神社で有名な裸祭りがあります。人々の災厄を、「神男」が一身に背負う祀りごとです。

自分の厄を落とす側。他人の厄を一身に引き受ける側、神男。その神男を命がけで守る鉄鉾会(てっしょうかい)という歴代の神男で構成する警護組織で神男を命がけで守ります。

民衆から鉄鉾会メンバーが神男を守り、上からも神男を命がけで拾い上げます。そして受け口に引っ張りあげて神男を神殿に引き入れるのです。それが上記の写真です。

これをご覧になられて、京都御所の「猿が辻」を想像していただくと、猿が辻の本質が分かると思います。天皇が国民の災い事、災厄を一手に引き受けて御所内部に招き入れている。

平安時代、疫病や自然災害で苦しむ民衆を助けるために、天皇は全ての災厄をわが身で引き受けておられたと思います。そして弘法大師、空海や空海の弟(真雅)が常に皇室に寄り添い、鉄鉾会のように守っていました。それを護持僧と言います。

天皇は国民の災い事を一手に引き受けていたのです。それは現行の天皇陛下を見ても分ります。常に国民に寄り添い、様々な被災地でも誰よりも被災者に寄り添う。

写真のように鉄鉾会が神男を引き入れる口が、京都御所で例えれば猿が辻です。

猿が辻の本質は、天皇が災いを避けていたのか、受けていたのか、神道側から見ても理解できると思います。

家相研究会

写真提供 稲沢市

家相の根幹 (仏教と神道) 

家相の根幹 (仏教と神道)

手を合わせ合掌する。手を叩き祈りを捧げる。神と仏では、参拝方法や所作も大きく違います。しかしどちらも幸せを願うことに違いはありません。

ただ仏教の中でも空海、弘法大師が推し進めた神仏習合は神と仏が一体となる思想で、明治維新までの1000年以上、日本に根付く独特の思想となっていきます。ただ空海は仏教を日本に広めるにあたり、神を非常に大切にされたのです。

在地の鎮守様、神を大切にしてこそはじめて仏教は成り立つ、そういった独特の思想をもちました。神があってこそ、仏教が成り立つという思想です。

そういった思想の元、家相が生まれ、育っていく事になるのです。

次回はそれを証明するいくつかの事例をお伝えしましょう

家相研究会

神と仏が一体になって生まれて育つ家相

神と仏が一体になって生まれて育つ家相

神を代表すれば

誰もが伊勢神宮を思い浮かべるでしょう。皇室の先祖神でもある天照大御神が祀られています。太陽を神格化した女神であり、日本国民の総氏神ともされています。天皇は天照大御神の直系の子孫とされますが、 そんな伊勢神宮には、心御柱といい、床下中央部分に柱があります。神は、「木や柱を依り代」とするためです。

そして我々はその柱に心を向け、感謝し、願いを込めています。また拍手を打ち、願いを込めるでしょう。

伊勢 五十鈴川

仏を代表すればどうでしょうか

金剛證寺の奥の院

仏を代表すればどうでしょうか

ご自分のご先祖のお墓であったり、お好きなお寺であったり、人はさまざまだと思います。

石碑や仏像に、蝋燭を立て、線香をあげ、手を合わせて合掌をする。日本人が日々接する神と仏は、お参りの所作も、向き合い方も大きく違います。

家相が生まれた平安時代、この「神と仏が一体」となって祭りごとを行っていました。これを「神仏習合」と言います。弘法大師、空海が強く推し進めた思想です。多くの日本人は、これを知らない方も増えております。明治維新で神仏は分離されましたが、江戸時代まで、日本の皇室には仏教も深く関わっていました。

上の写真は、伊勢の金剛證寺の奥の院の写真です。江戸時代、伊勢参りが盛んでした。犬まで伊勢参りをする時代。「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」と言われ、伊勢神宮と一緒に朝熊山の金剛證寺を参拝するのが習わしでした。寺では仏事に用いられるのは(しきみ)ではなく神事に使われる(さかき)が供えられる、全国でも珍しいお寺なのです。

そのような環境で生まれて育ったのが家相です。神側から家相を研究するか、仏側から家相を研究するか、家相はとても面白い世界だと申しておきましょう。

家相研究会