神を祀るのか、仏を祀るのか

家の中に「神」や「仏」に感謝する場所を設けろ、それが家相だ。そして日々感謝することこそが大切なのだ。
一日の良いスタートがきりたいから、やってみるか、そう思われる方もいらっしゃることでしょう。似たようなことをいうウェブサイトや書籍もあるでしょうが、それなりの確率で神具店、仏具店でしょう。ごく普通の棚を購入しても、それが神棚、仏壇となります。そう最初にお伝えしておきます。
また神社のお札やお寺のお札を一緒にお祀りしてもよいと、ずばり最初に申しておきましょう。またその方が良いとも言っておきます。
「おいおい家相研究会よ、ハチャメチャなことを言うんじゃない」そう思われるでしょう。いやいや日本はそういった国ですし、日本独自の家相や密教を始められた空海、弘法大師さまはそういったお方なのです。ですから何も問題ないし、その方がご利益は高まると思いますと、はっきりここで申し上げておきましょう。
たしかに神道では死者の穢れを嫌います。「祓いたまえ、清めたまえ」という祝詞もそういった意味合いがあります。ゆえに親族が亡くなれば一年は喪にふくせなどとも言われます。だからお寺のお札を一緒に祀るのはアウトだ。そう思われるでしょう。
わかりやすい例を言いましょう。徳川家康が亡くなって仏の身でありながら、現在は神として祀られ、日光東照宮の神となっています、そして神社として神のお札が交付されています。さあどうしましょうか。徳川家康は人間であり、神ではありません。つまり日本は非常にあいまいで寛容な国なのです。平安時代から続いた神仏習合を明治維新で人間が勝手に分離しましたが、日本人の心はずっと神仏は習合しています。今も皆さんが自然に大切にされているのだと思います。現実、神道の方は家族が亡くなったら守護神という考えで祀られます。
全国に、「なになに権現」という神社がたくさんあります。権現とは、仏の仮の姿という意味で仏が神として祀られているのです。そういった環境であるがゆえに、生まれたらお宮参り、七五三で神社やお寺へ行き、結婚式は神前結婚、はたまたキリスト教でもないのに教会で愛を誓う、そして亡くなると無宗教と言いながら仏式となる、それをめちゃくちゃというか、広い心というか、我々日本人は神と仏が混在した中、はちゃめちゃな中で生かされてきたのです。
我々家相研究会のメンバーは、代表を含め、四国八十八カ所霊場を回っていますが、100回以上回る強者がそれなりにおります。その四国八十八カ所霊場を巡礼されると明確にわかるのです。明治維新で「神仏判然令」が出されて神仏分離が行われても空海、弘法大師の教えがずっと守られています。ゆえに日本中から、いや世界中から、空海の足跡を尋ね、お遍路にこられる方が多いのでしょう。
下記の写真は、四国八十八カ所霊場 愛媛県 42番霊場 佛木寺(ぶつもくじ)です。鳥居があるから驚かれるでしょう。実は本堂のご本尊は大日如来、そして本堂の真裏にいくと写真のように天照大神・神武天皇・菅原道真が祀られているのです。


驚かれると思います。つまりお寺参りをすると、自然に神様をお参りしているのです。観光バスツアーでお遍路に来られると、皆さん本堂で御経を詠み、裏の神様は素通りされてしまいます。しかし知らず知らずに、お寺参りで神様もお参りしているのです。90%以上の方は、本堂の裏に神様が祀られていることを知らずにお参りをされています。

上の写真は愛媛県 四国八十八カ所霊場41番霊場 龍光寺です。空海(弘法大師)がこの地を巡錫した際、稲荷明神像を刻んで安置した、四国八十八カ所霊場総鎮守の由緒あるお寺です。青字を拡大してご覧ください。本堂に「神が鎮座する」と書かれています。ですからお経を読んでも良し、拍手を打っても良しのお寺なのです。
現在、四国八十八カ所霊場だけでなく、神社側も大きな動きが20年前から始まりました。出雲大社が中心となり、出雲神仏霊場が発足し、20年の歴史を持ちます。神社とお寺を巡礼する霊場会が生まれ、神仏合同の慰霊祭も継続されています。また京都北野天満宮が事務局で、伊勢神宮も参加され、平成17年から神仏霊場会が発足し、専用の納経帳などもつくられ神仏混合の歴史を大切にし始めました。
言葉は悪いですが、どうぞ、神と仏をごちゃごちゃにしてみてください。平安時代から1200年以上続いた日本の宗教観を楽しまれたら良いと思います。明治維新で分離され、GHQに骨抜きにされた日本の宗教観を取り戻すのも、楽しむのもあくまでも個人の自由な考えです。
死んだ親が自分にとって神だと思えば、神と思って参拝すればよいでしょう。前述の愛媛の佛木寺には、動物たちを崇めるお堂もあるのです。亡くなった犬や猫に手を合わせてスタートすることも、良いのではないでしょうか。
神や仏が喜ばれ、空海も必ずや強い後押しをしてくださると思います。





