家相は信頼できない!
家相では家の中心点を「敷地の中心」 「敷地と建物の平均」「一階の建物重心」「二階の建物重心」「一階と二階の建物重心の平均」「太極柱(大黒柱)」「囲炉裏」「神棚」「床柱」「大棟」「一家の主の正寝」「商店は床の間」「武家は玄関」など 15を超える、中心点の違う考えがあります。
それを流派と言えば、流派となるでしょう。
ただでさえ胡散臭いと思われている家相ですが、流派がある、中心点が違う、「つまり見る人によって判断が違いますよ」と言っているわけで、全く信頼できないと思われるでしょう。
そして中心点から見て、トイレや玄関の位置が良いとか悪いとかまで派生するから、面白おかしい世界に入っていくのでしょう。そしてもっと派生すると、「お掃除すると良い」とか、「ここに鏡を置くと良い」とか、ますますおかしな世界に入っていくのです。
実は、15を超える中心点は、すべて祈りの場です。敷地の中心で神仏に祈りを捧げる。大黒柱に祈りを捧げる。囲炉裏に祈りを捧げる。武家は玄関が祈りの場になる。つまり祈りを行う場所を住まいの中心点としたということです。
中心点から見て、何かがあれば凶。中心点がどこなら吉ではなく、「住まいの中に願う場所があるのか、また、住まい手が願っているのかが重要なのです。
そこを間違うことで本質からどんどん外れていくのです。つまり中心点などどこでもよく、流派もどこでもよく、「住まいに願う場があり、そこで願うことが大切である、それが家相なのです」
この根本を間違わないようにすべきでしょう。
仏教でも同じです。

仏教も、線香が宗派によって違う
線香を立てる、横にする、本数も違います。また線香をあげる意味すらも違ってきます。
1本 曹洞宗、臨済宗、日蓮宗
1本を折る / 横にする 浄土真宗本願寺派・大谷派
2つに折る 浄土宗
3本 天台宗、真言宗
天台宗や真言宗では、本数を増やすことで自らも清める意味を持たせます。
なら、仏教も信用できない! そうではありません。 家相もそれと同じだと思います。
中心点がどこだとか、その中心から見て、何かが「有る無し」ではなく、住まいに幸せを願う場所があるのか、住まい手が願っているのか、それこそが家相学の「良しあし」なのです。
私の家は、なになに宗だ。どこどこ宗だ。これだけお金を寄付した。けれどいっさい手を合わせることをしない。
家相の本質を見誤ることは、それに近いことだと思います。
家相研究会


